実際のセーヴル磁器を鑑賞できる、展示室でのこと。そこで海太郎さんは磁器に施された繊細な装飾に釘付けでした。
「僕が最も印象に残ったのは、磁器の一部分にスポットライト(A)を当てる展示手法です。普段演劇にも携わっているからなのか、僕にはその光を浴びたお皿がさも舞台に立つ人物に見えて、展示ケースが小さな劇場に見えたんです。すごくわくわくしました。あと“L”と描かれたモチーフの周りに葉っぱが2、3枚描かれてますが(B)、そこにもグッときます。少しでも葉っぱの位置を間違えると絵柄全体がおかしくなるじゃないですか。だから葉っぱの装飾はとても勇気がいることだったのでは? と担当した絵付け師へ想いを馳せてしまいます」(海太郎)。
作品の一部分に光を当てたのは、やはりそこに隠れた物語に気づいてもらうため。例えばお皿の裏側には、製造年や関わった職人のイニシャルが記されていて(C)、そういった箇所に視点を置けるよう、ディスプレイ解説でも工夫をしています。
楕円波縁皿。
1773年にルイ15世からアストゥリアス公妃マリア=ルイサ・デ・パルマへ贈られた食器セットの追加品として1776年3月1日に送られた品。
阿部海太郎さんも体験した、
第7回展『外交とセーヴル磁器展ヨーロッパの歴史を動かした華麗な器たち。』は、
5月15日までミュージアムラボにて開催中(観覧無料・予約制)。
実際のセーヴル磁器の展示はもちろん、その技法や宮廷の食卓儀礼などを
織り交ぜ紹介しています。ぜひご覧ください。
海太郎さんの作品
音楽とは曲づくりも演奏も、基本的に一人ではできない、誰かの力を必ず必要とするものです。それはすごくエキサイティングなことなんですが、その分、心を消費してしまうことも。そんな音楽生活を送っている僕は、普段から無性に美術館に行きたくなることがあります。それはきっと、ひとつの作品を鑑賞するためにかける時間も鑑賞する順路も、ただひとり、自分の感覚に従って前へと進められるからなんだと思います。1対1の関係性なんですよね、作品と自分は。だから美術館という空間に身を浸すことで、普段の僕の時間の流れ方や使い方が少しリセットされて、気持ちがスッキリしてくるんです。そういう意味で、僕にとって美術館とは心のリハビリ空間でもあるのかもしれません。
今回ミュージアムラボでは、18世紀に作られた本物のセーヴル磁器を鑑賞しましたが、音楽と違ってアートは、まぎれもなく現物(作品)が残されていること。それがいいなって改めて思いました。例えば18世紀の音楽だったら、今のように録音技術が発達していないので、“作品(音)そのもの”が残っていないんです。とすると唯一の手がかりは楽譜。だから僕ら音楽家は、その楽譜を通して作曲家の想いや当時の音など、様々なことを妄想してその音楽を再現していくしかない。それこそ自分の感覚をひらいて、作者の気持ちをなぞりながら半分一緒に制作していくんですよね。でもそうやって自分で作品を塗り替えることができるのは、音楽にしかできない面白さだったりして、結局音楽のそういうところも僕にとっては魅力につながっているんです。