これらの作品は、一般にエジプトの地名をとって「ファイユームの肖像画」と呼ばれますが、それは19世紀の終わりにファイユーム地域で多数の肖像画が発見されたことによります。しかし実際は、こうした肖像画はナイル川沿いの様々な場所で発見されています。
木の板に描かれたこれらの肖像画は、モデルとなった人物が生きていた頃に制作され、その人物が亡くなると、ミイラの上にのせる埋葬用マスクの代わりとして使われました。エジプトにおける埋葬用マスクは、来世での死者の復活を象徴するものでした。肖像画を埋葬用マスクとして使うこの習慣は、エジプトがすでにローマの支配下にあった紀元1世紀、ティベリウス帝(在位紀元14〜37年)の治世に始まります。
乾燥した風土のおかげで現在に残るこれらの肖像画は、古代世界における唯一の肖像画の例で、当時を生きた人々の様々な顔を我々に示してくれているのです。 |
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女性の肖像
紀元2世紀後半
シナノキ(Tilia sp., Tiliaceae)、蝋画
縦31cm、横(下部)18.8cm、横(上部)20cm、厚み0.1‐0.2cm
おそらくテーベ出土
パリ、ルーヴル美術館、N2733.3
© 2007 Musée du Louvre / Georges Poncet |
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これは、ルーヴル美術館のコレクションに最も早く加わった肖像画の一点で、カイロの英国総領事ヘンリー・ソールトが所有していたものです。ルーヴル美術館が1826年にソールト・コレクションの一部とともにこれを取得し、19世紀には古代エジプト美術の常設展示室において一般に公開されていました。
肖像画が描かれた板は極めて薄く、現代の木の板に貼り付けられています。おそらくはルーヴル美術館のコレクションに加わる前に貼り付けられたものと思われます。
肖像画にはやや左向きの若い女性が描かれています。顔の輪郭は細長い卵形で顎が少し突き出ており、左側の大きな影と鼻筋の明るい線が鼻に立体感を与えています。一直線上にない両目の縁は茶色がかった黄土色で描かれ、虹彩は淡褐色、黒い瞳孔は白色の点で引き立っています。
女性は2粒の白い真珠が付いた輪状の耳飾り、そして首飾りを身につけています。首飾りの大きな金環は黄みの強い黄土色で塗られ、赤みがかった黄土色縁取られています。バラ色のチュニカ(古代ギリシア・ローマの短衣)と同じ色のマントを着用していますが、チュニカの右肩には黒い細めのクラヴス(縦長の細い装飾用帯)が付けられています。マントの縁とひだは、左肩から胸へと垂れる長い紫色の筆の運びで表されています。耳を出し、ウェーブを平行に入れた髪型は、2世紀後半に流行した典型的なものです。 |
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女性の肖像
紀元2世紀中頃
エジプトイチジク(シコモア)(Ficus sycomorus L., Moraceae)、蝋画
縦37cm、横17cm、厚み1cm
アンティノポリス出土
パリ、ルーヴル美術館、E12569
© 2007 Musée du Louvre / Georges Poncet |
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この肖像画は、考古学者のアルベール・ガイエが1904年もしくは1905年に中部エジプトの都市、アンティノポリスで、ネクロポリス(地下墓所)の発掘中に発見したもので、1905年にルーヴル美術館のコレクションに加えられました。
肖像画の下部右端は、欠けた部分を貼り直してあります。鼻の上に見える暗い染みは絵の具が剥げた箇所で、薄くなっているために褐色の下塗りが透けて見えています。
これは、やや右向きの若い女性を描いた肖像画ですが、女性の視線はまっすぐに鑑賞者の方を向いています。はっきりした輪郭の口元は下唇の下に影を描きこむことで一段と引き立っており、あごにはピンク色の小さな窪みが付けられています。髪は真ん中で分けられ、厚めの黒いタッチで描かれたウェーブを平行に出しています。
女性は深い紫色のチュニカと左肩の上に同色のマントをまとっており、チュニカは右肩から垂れ下がる深緑色のクラヴスで装飾されています。
金製の横棒を挟んで上に1粒、下に2粒の真珠を配する形の耳飾りは、紀元1世紀から2世紀に流行した典型的なものです。一方、首飾りは深緑色をした長めのビーズと金製のロゼット形の飾りを交互に組み合わせたものです。髪型はハドリアヌス帝(在位117〜138年)の治世に位置づけられる可能性があるものの、耳が隠れていることから、それより少し後の時期と思われます。 |
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女性の肖像 通称《ヨーロッパの女性》
紀元2世紀前半
ヒマラヤスギ(Cedrus sp., Pinaceae)、蝋画、一部に金箔
縦42.5cm、横(下部)24cm、横(上部)17.4cm、厚み1.2‐1.6cm
おそらくアンティノポリス出土
パリ、ルーヴル美術館、MND 2047
© 2008 Musée du Louvre / Georges Poncet |
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1951年に骨董商ロジェ・カワムから取得した作品で、ルーヴル美術館の「ファイユームの肖像画」のコレクションの中で一番最後に収蔵された肖像画です。板は肩に沿って切り抜かれているため、頭部の幅が肩の幅に比べて狭くなっています。ディジョン美術館に所蔵されている、考古学者アルベール・ガイエが発見した肖像画と様式が似ていることから、都市アンティノポリスの出土と推測されています。肌の色が非常に白いことから、この若い女性はルーヴルのコレクションに加わった当初より《ヨーロッパの女性》と呼ばれていますが、それ以外の根拠は何もありません。若い女性の魅力や少し伏せがちの右向きの視線、卓越した芸術性といった点から、ルーヴル美術館の肖像画コレクションを代表する作品と見なされています。
真珠のような肌を持つこの若い女性の顔の特徴は、大きな目が鑑賞者ではなくやや右側を見つめていることで、これは非常に珍しい例と言えます。髪は後ろにひっつめた形で、耳は覆われていません。髪留めで三つ編みが冠のように固定され、その髪留めの金でできた頂部が念入りに描かれています。胸に留められた楕円形の大きなブローチや耳飾りの他、真珠の首飾りも身につけていますが、首から胸の上部までが金箔で覆われているため、首飾りは隠れて見えません。埋葬の際、肖像画に金箔を付け加えることはしばしば行われましたが、このように首に金箔が張られた例は他にありません。 |
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