LOUVRE - DNP MUSEUM LAB
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作品・作家紹介
ルーヴル - DNP ミュージアムラボ 第9回展 ゴヤの≪青い服の子供≫ ルーヴル美術館のスペイン絵画コレクションに入るまで
作品:《ルイス=マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネス(1788‐1842年)の肖像》、通称《エル・ニーニョ・アスル、青い服の子供》
エル・ニーニョ・アスル、青い服の子供
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746‐1828年)
《ルイス=マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネス(1788‐1842年)の肖像》、通称《エル・ニーニョ・アスル、青い服の子供》
1791年3‐4月に制作
油彩、カンヴァス
縦118cm、横86cm
イヴ・サン=ローランとピエール・ベルジェのコレクション、2009年にピエール・ベルジェ氏により寄贈
絵画部門
RF 2009-5
パリ、ルーヴル美術館
© Photo DNP / Philippe Fuzeau

ルイス=マリア・デ・シストゥエの肖像は、モデルの衣装の深みのある青色のために《青い服の子供》とも呼ばれ、ゴヤによる子供の肖像画の最も美しい作例の一つに数えられます。銘によれば、モデルは当時2歳8ヵ月であり、そのことからこの作品が1791年に描かれたことがわかります。

モデルのルイス=マリア・デ・シストゥエは、第3代メングラーナ男爵であり、スペイン国王カルロス4世と王妃マリア・ルイサを名付け親に持ち、のちにスペイン独立戦争の英雄として知られるようになります。この絵はルイス=マリアの唯一現存する肖像画であり、ゴヤの作品の中では、ルーヴル美術館に最も新しく加わったものです。1928年までシストゥエ家に受け継がれ、その後アメリカの実業家ジョン・D・ロックフェラーJr. のコレクションに、次いでイヴ・サン=ローランとピエール・ベルジェのコレクションに収蔵されるという華々しい来歴を持っています。

控えめで親密な雰囲気の構図は、この幼いモデルに強い存在感を与え、無地の背景に浮き立つシルエットを包む光輪がモデルの存在感をいっそう強めています。深い青色と幅の広い飾り帯のばら色との組み合わせによる、非常に洗練された色使いは、イヴ・サン=ローランが1983年にデザインしたドレスにインスピレーションを与えました。

偉大な肖像画家であり、子供の肖像画に技量を発揮したゴヤは、ベラスケスの力強さと、ムリーリョの柔らかさと、啓蒙思想の理念とを見事に統合しながら、子供の純真さを表現することに成功しています。

作家:フランシスコ・デ・ゴヤ(1746‐1828年)

フランシスコ・デ・ゴヤ(1746‐1828年)は、おそらくベラスケスに並ぶ最も有名なスペイン画家です。サラゴーサ出身のゴヤは、イタリアを旅行した後、マドリッドの宮廷で画業を築き始めます。偉大な肖像画家である彼は、モデルの心理やその内面生活を完璧に捉えるに至ります。一方、大衆生活や子供が遊ぶ場面を描いたタピスリーの下絵も数多く制作します。

ゴヤは、1792年から患った病により聴覚を失い、彼の生活と絵画制作に大きな変化が訪れます。その7年後の1799年に出版された「ロス・カプリチョス」において、同時代の風習や社会に対する辛辣な批判を通して、版画の分野におけるゴヤの天才的な創造力を存分に発揮しました。

1808年から、ゴヤの身に起きた慌しい状況の変化に加え、政治的出来事がめまぐるしく展開します。ナポレオンが大軍を率いてのスペイン侵攻を決行し、その後フェルナンド7世が反動的な王政復古を行います。ゴヤは、この戦争が引き起こした物質的破壊、また心身への打撃にさいなまれます。彼の版画と自宅の壁を飾っていた「黒い絵」の連作は、夢がしばしば悪夢であったゴヤの内面世界を証言しています。1824年、ゴヤはついにフランスに亡命する道を選び、その4年後にボルドーで生涯を閉じます。

ルーヴル美術館には、ゴヤによる7点の肖像画と1点の静物画が収蔵されています。

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