LOUVRE - DNP MUSEUM LAB
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作品紹介
ルーヴル - DNP ミュージアムラボ 第7回展 外交とセーヴル磁器展 ヨーロッパの歴史を動かした華麗な器たち。
「小さなシュロの葉」文様の皿、1758年3月にルイ15世からデンマーク王フレデリク5世に贈られた食器セットより
「小さなシュロの葉」文様の皿、1758年3月にルイ15世からデンマーク王フレデリク5世に贈られた食器セットの一部
王立ヴァンセンヌ磁器製作所
1756年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
1918年アルベール及びポール・パニエ両氏による寄贈
OA 7197.
高さ4cm、口径24.7cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
この「小さなシュロの葉」皿は、「人物花鳥文様緑地フランス磁器」の食器セットの一部をなすものでした。これは、ルイ15世がデンマーク王フレデリク5世から有名なフレデリクスボーグ種の種馬を受け取ったお礼として1758年3月に贈ったもので、磁器が外交上の贈り物とされた最初の例と考えられています。

地色に使用されている緑は、セーヴル磁器製作所においてこの時代に新たに考案された色でした。この食器セットは、72枚の皿(1枚60リーヴル注1) と非常に高価なもの)と164点の食器からなり、これらは、フランス式の正式な食事には欠くことのできないもので、総額34542リーヴルという非常に高価なものでした。

これらの食器は国王付きの高級商人であったラザール・デュヴォーが王立製作所から購入し、1757年12月9日に外務大臣を務めるベルニ神父伯爵の元へ届けられ、彼がデンマークへ送りました。
受取人であるデンマーク王は非常に満足したようですが、いつからか、これらの食器セットの大部分はロシア皇室のコレクションとなって、今日までサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に保存されています。


注1 リーヴル:通貨単位
「花輪飾り」の皿、1758年12月2日にルイ15世からオーストリア皇后マリア=テレジアへ贈られた食器セットより
ピエール・アントワヌ=メロー兄、1754年から1791年まで活動
「緑のリボン」が施された「花輪飾り」の皿、1758年12月2日にルイ15世からオーストリア皇后マリア=テレジアへ贈られた食器セットの一部
王立セーヴル磁器製作所
1757年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
1918年アルベール及びポール・パニエ両氏による寄贈
OA 7192.
高さ3.5cm、口径24cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
緑のリボンが施された「花輪飾り」のこの皿は、1758年12月2日にルイ15世がオーストリアの皇后マリア=テレジアへ贈った食器セットに由来するものです。1757年5月1日に調印されたヴェルサイユ条約により、フランスとオーストリアが敵方から同盟国に逆転したことを記念し贈られたものでした。

74枚のお皿(一枚が72リーヴル)を含む185点の食器セットの他にも、数多くのセーヴル磁器が含まれており、その総額は24768リーヴルにもなりました。これらの食器セットの大半は、皇后の居所であったウィーンのホーフブルク王宮に今も所蔵されていますが、「花輪飾り」の皿は散逸の憂き目に会い、そのうちの2枚が今日ルーヴル美術館に所蔵されています。
丸いコンポート皿、1760年にルイ15世からプファルツ選帝侯に贈られた食器セットより
「モザイク」コンポート皿、1760年4月にルイ15世からプファルツ選帝侯カール=テオドールに贈られた食器セットの一部
王立セーヴル磁器製作所
1759年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
1881年アドルフ・ティエール夫人による遺贈
TH 1180.
高さ5cm、口径22cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
この丸いコンポート皿は、モザイク柄花鳥文様食器セットに由来するものです。この食器セットは、ヴェルサイユ条約による同盟関係の新たな勢力均衡の中での中立的立場を確固にするために、1760年にルイ15世からファルツ選帝侯カルル=テオドールに贈られたものでした。

この食器セットは皿96枚(1枚36リーヴル)、その他の食器122点および素焼き磁器の彫像54点を含み、総額15736リーヴルにのぼりました。
また、20枚あるコンポート皿は、1点60リーヴルでした。マンハイムへ送られたこれらの食器セットは、選帝侯が好むあまり、実際に使用されずに、特注のショーケースに展示されました。
18世紀末からは、これらの食器セットの大部分はミュンヘンのレジデンツ(王宮)に保管され、このコンポート皿は1881年にティエール夫人によりルーヴル美術館へ遺贈されました。
「豪華な色彩の縁飾り」文様の蓋付鉢(ポ・ア・オワル):1784年8月26日に王妃マリー=アントワネットに納品。
受け皿:1784年6月22日にルイ16世からスウェーデン王グスタヴ3世へ贈られた食器セットの追加品として同年9月7日に納品。
■蓋付鉢
ジャック=フランソワ・ミコー父、1757年から1810年まで活動、エティエンヌ=アンリ・ルゲ兄、金鍍金工、1748年から1749年まで、次いで1751年から1796年まで活動
「豪華な色彩の縁飾り」文様の蓋付鉢(ポ・ア・オワル)、1784年8月26日に納められた王妃マリー=アントワネットの食器セットの一部
王立セーヴル磁器製作所
1784年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
2001年に取得
OA 11979
高さ25cm、幅 28.5cm、口径(蓋)23cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola

■受け皿
ジャック=フランソワ・ド・ラロッシュ、1758年から1802年まで活動
アンリ=フランソワ・ヴァンサン兄 金鍍金工、1753年から1800年まで活動
「豪華な色彩の縁飾り」文様の受け皿、1784年6月22日にルイ16世からスウェーデン王グスタヴ3世に贈られた食器セットの一部
王立セーヴル磁器製作所
1784年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
2001年に取得
OA 11980
高さ5.5cm、口径46.2cm×37.5cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
「豪華な色彩の縁飾り」の食器セットは、300点以上の食器からなり、当初は1784年の初めに王妃マリー=アントワネットがチュイルリー宮殿で用いるために注文された品と考えられています。
しかし、最終的にこれらの食器セットは1784年6月22日にルイ16世からスウェーデン王のグスタヴ3世へ、王のフランス滞在中に贈られました。蓋付鉢「ポ・ア・オワル」に添えられた受け皿は、600リーヴルというこの食器セットの中で最も高価なものでした。
この受け皿は、1784年9月7日にスウェーデン王へ上記の食器セットの追加品として送られました。

また、この蓋付鉢は、スウェーデン王に送られた一式ではなく、王妃マリー=アントワネットのために再度製作され、1784年8月26日に王妃の元へ届けられた2番目の食器セットに由来するものです。
ハーフボトル・クーラー、1773年にルイ15世からナポリ王妃マリア=カロリーナに贈られた食器セットより
エティエンヌ=ジャン・シャブリ息子、1764年から1787年まで活動
ジャン=バティスト・タンダール兄、1754年から1800年まで活動
フランソワ・ボードゥワン父 金鍍金工、1750年から1800年まで活動
ミッシェル=バルナベ・ショヴォー兄、1752年から1788年まで活動
「常用」ハーフボトル・クーラー、1773年にルイ15世からナポリ王妃マリア=カロリーナに贈られた食器セットの一部(カルロッタ=ルイーザ)
王立セーヴル磁器製作所
1773年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
1983年マルセル・ブリュネ嬢から寄贈
OA 10879
高さ17cm、口径18cm、幅23cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
このハーフボトル・クーラーは、1773年にルイ15世からナポリ王妃マリア=カロリーナへ贈られた食器セットの一部です。マリア=カロリーナは当時まだ王太子妃だったマリー=アントワネットの実の姉でした。

この食器セットは青の縁取りと、子供や花籠で飾られCLというモノグラムが施されています。これは、マリア=カロリーナ=ルイーザと呼ばれた王妃か、ルイ15世が代父であった、王妃の娘カルロッタ=ルイーザのイニシャルでしょう。

1774年1月の『国王贈答品日誌』によれば、このハーフボトル・クーラーは対になっており、それぞれの価格は192リーヴルでした。
楕円波縁皿、1773年にルイ15世からアストゥリアス公妃マリア=ルイサ・デ・パルマへ贈られた食器セットの追加品として1776年3月1日に送られた品
フランソワ=アントワーヌ・ファイフェール、1771年から1800年まで活動
ジャック・ピエール、通称ピエール兄、金鍍金工、1759年から1776年まで活動
楕円波縁皿、1773年にルイ15世からアストゥリアス公妃マリア=ルイサ・デ・パルマへ贈られた食器セットの追加品として1776年3月1日に送られた品
王立セーヴル磁器製作所
1775年
ルーヴル美術館、工芸品部門
硬質磁器
1984年に取得
OA 11022
高さ4cm、口径38cm×27cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
1773年の終わりに、ルイ15世は彼の孫娘で1788年にスペイン王妃となるアストゥリアス公妃マリア=ルイサ・デ・パルマ(1751-1819)のためにセーヴル磁器製作所に食器セットを注文します。

この食器セットの大部分は1774年に製作され、ルイ15世の没後約1年が経過した1775年1月にマドリードの公妃のもとへ届けられます。

この食器セットは、225点の食器からなり総計22015リーヴルにも及びました。公妃はこの食器セットを大層好み、その後自ら多くの追加品を注文します(これらの注文は1791年まで続きます)。

このルーヴル美術館所蔵の楕円波縁皿もその一例であり、1776年3月1日に王妃の元へ届けられ、その価格は240リーヴルでした。
「イルカの庭」の壺、1784年10月22日にルイ16世からプロイセン公ハインリヒへの贈答品
ピエール=ジョゼフ・ロセ兄、1753年から1795年まで活動
ジャン=ピエール・ブランジェ、金鍍金工、1753年から1795年まで活動
「イルカの庭」の壷、1784年10月22日にルイ16世からプロイセン公ハインリヒへの贈答品
王立セーヴル磁器製作所
1781年
ルーヴル美術館、工芸品部門
硬質磁器
1997年、フィリップ・ローラン、オリヴィエ・クレメール両氏による寄贈
OA 11854
高さ48cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
プロイセン王フリードリヒ2世の弟プロイセン公ハインリヒは、1784年にフランスを訪れます。この訪仏の際、ハインリヒはルイ16世から数々の贈り物を受けとりました。

その中には、ゴブラン織のタピスリーやセーヴルの磁器があり、2400リーヴルもする高価な壺の一対や、緑地の食器セットはとくに目を見張るものでした。

1997年にルーヴル美術館に寄贈されたこの壷は、その一対のうちの一つでした。
そのイルカを象った形や製作時期から、これらの壺は1781年10月の王太子注2)の誕生を記念して製作されたものではないかと考えられています。


注2:フランス語のDauphin(ドーファン)には「イルカ」と「王太子」という二つの意味がある。
ポタージュ皿、1786年6月12日にルイ16世からロンバルディア総督、オーストリア大公フェルディナントに贈られた食器セットより
シプリアン=ジュリアン=イレル・ド・ショワジー、1770年から1811年まで活動
ミッシェル=バルナベ・ショヴォー兄、金鍍金工、1752年から1788年まで活動
ポタージュ皿、1786年6月12日にルイ16世からロンバルディア総督、オーストリア大公フェルディナントに贈られた食器セットの一部
王立セーヴル磁器製作所
1785年
ルーヴル美術館、工芸品部門
軟質磁器
旧王立リモージュ製作所から1999年寄贈
OA 11916
高さ4cm、口径24cm
© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola
ルイ16世はセーヴル磁器製作所より「空色の地にマーガレット、ヤグルマギク、バラをあしらった」食器セットを1786年6月にオーストリア大公フェルディナントのために購入します。
彼はルイ16世の義兄でロンバルディア地方の統治者であり、妃と共に非公式にフランスを訪問しました。

ミラノの宮廷のために製作されたこれらの一式は、288点の食器からなり、他の磁器と合わせてその価格は24073リーヴルに及びました。

ルーヴル美術館に寄贈されたポタージュ皿は、1枚36リーヴルという高価なものでした。
王妃マリー=アントワネットの胸像
ルイ=シモン・ボワゾ作の彫刻をモデルとするマリー=アントワネットの胸像
アレクサンドル・クラーキン公爵の注文品
王立セーヴル磁器製作所
1782年
ルーヴル美術館、工芸品部門
硬質磁器
ロバート・アブディー卿を記念して1982年に寄贈
OA 10898
高さ40cm
© 2005 Musée du Louvre / Peter Harholdt
この王妃マリー=アントワネットの胸像は元々、王の胸像と対をなしていました。後年に1808年から1812年にパリ駐在のロシア大使となる、アレクサンドル・ボリソヴィッチ・クラーキン公爵が、1782年にセーヴルに注文したものです。

公爵は当時デュ・ノール伯爵夫妻を名乗って旅をしていたロシア皇太子夫妻に同伴し、フランスに滞在していました。
この素焼きの磁器は、1773年から製作所の彫刻工房の長であったルイ=シモン・ボワゾが製作を担当しました。

ボワゾは、一年前の1781年の大理石の胸像(外務局書記長のために製作され、現在はルーヴルにある)では王妃が非常に高慢に見えるという批判を受けたため、それを考慮に入れて製作したようです。
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